• 大会:1996年第1戦オーストラリアGP
  • 出走チーム:ウイリアムズ・ルノー
  • 予選:ポールポジション
  • 決勝:2位

 1995年のアメリカ・CART王者の肩書を持ち、バーニー・エクレストンの後押しもあったとはいえ、1995年に選手権3位だったデイビッド・クルサードを外してまで、チーム全盛期のウイリアムズがジャック・ビルヌーブを起用する事態に違和感を覚える関係者は少なくなかった。

 しかし、衝撃的な予選結果で彼は関係者の疑念を吹き飛ばした。チームメイトのデイモン・ヒルに0.138秒差でポールポジションを獲得。「クルマの競争力は非常に高かった。金曜日と土曜日のセッションを走って、ポールポジションを取るポテンシャルがあるのは分かっていたけど、実際にトップに立てるとは思っていなかった」とビルヌーブ。

 決勝はビルヌーブが見事なスタートを決めるも、1周目のターン3でジョニー・ハーバート(ザウバー)とクルサード(マクラーレン)にマーティン・ブランドル(ジョーダン)が乗り上げてクルマが大破する事故が発生して赤旗中断。

 2回目のスタートでもビルヌーブはトップを守り、ピットストップを挟みながらもその座をチームメイトに明け渡さずレースは終盤戦へ。しかし、エンジンの油圧低下に見舞われたビルヌーブはペースダウンを強いられ、終始接戦を演じていた2番手のヒルにポジションを譲らざるを得ず2位でチェッカー。「(オイル漏れの)警告灯が見えたときは本当にがっかりした。でも、これがレースだ」とデビューウインを逃したビルヌーブはさばさばと語った。

1996年にF1デビューを果たしたジャック・ビルヌーブ(ウイリアムズ)

■ジャック・ビルヌーブのF1初優勝

  • 大会:1996年第4戦ヨーロッパGP
  • 出走チーム:ウイリアムズ・ルノー
  • 予選:2番手

 第1戦オーストラリアGPでポールポジションからのデビューウインを逃したビルヌーブは、2戦目のブラジルGPで3番手スタートからのスピンアウトでリタイア、3戦目のアルセンチンGPで3番手スタートからの2位と簡単には勝てずにいた。

 迎えた4戦目のヨーロッパGPの予選は同僚ヒルに次ぐ2番手。もっとも、決勝ではヒルのミスもあって易々とスタートでトップへ浮上し、ビルヌーブがレース中盤までを支配する。また、デイビッド・クルサード(マクラーレン・メルセデス)が華麗なスタートで6番手から2番手へジャンプアップ。このクルサードのレースペースが上がらず3番手以降の壁となった状況も、ビルヌーブにとっては追い風だった。

 それでも、予選3番手だったミハエル・シューマッハー(フェラーリ)が1回目のピットストップでクルサードを抜きビルヌーブに接近。2回目のピットストップでは、あわやビルヌーブの前に出るかと思われる場面さえあった。しかし、ビルヌーブは0.762秒差でドイツ人の攻撃をしのぎ切り、参戦4戦目でF1初優勝を飾った。

「ここで勝てて、F1で初優勝を飾れて素晴らしい気分。シーズン当初からクルマには競争力があり、ついに表彰台の最高位に立てた。でも、今日はミハエルが後ろから勢いよく迫ってきて、時にはあまりに近すぎて居心地が悪くなる場面もあったけれど、まあレースを楽しくしてくれた」とビルヌーブは落ち着いた様子で語った。

1996年にF1デビューを果たしたジャック・ビルヌーブ(ウイリアムズ)

■デイモン・ヒル(1996年王者)のF1デビューレース

  • 大会:1992年第9戦イギリスGP
  • 出走チーム:ブラバム・ジャッド
  • 予選:26番手(最後尾)
  • 決勝:16位

 F1王座2回を誇るグラハム・ヒルの息子として四輪レースに足を踏み入れたものの、めぼしい戦績を残せず経済的にも経歴的にも追い詰めらていたヒルは、ウイリアムズでテクニカルディレクターを務めていたパトリック・ヘッドへ1990年のクリスマスに電話を掛けた。

 テストドライバーとして採用されたとはいえ報酬は少なく、仕事はウイリアムズFW14Bに搭載されるアクティブサスペンションやセミ・オートマチック・トランスミッションの開発で、1991年に数万キロを走り込む重労働だった。1992年のF1デビューにあたっては、資金難に喘いでいたチーム事情、ウイリアムズからの推薦といった後押しがあった。

 もっとも、第4戦から第8戦までは、クルマの戦闘力不足でヒルは予選落ち。母国開催の第9戦イギリスGPでようやく、トップから約7秒後れの最後尾へ滑り込み予選を通過した。決勝ではスタートからほどなく最後方で孤立した状況に立たされての走行。それでもライバルのアクシデントやトラブルでひとつずつ順位を上げ、最終的にトップから4周後れの16位となった。

「チェッカーフラッグを見られて、言葉にできないほどホッとしている。完走が今日の僕に課せられたミッションだったからね。僕がテストドライバーを務めるウイリアムズの2台に後ろから迫られた際には、彼らの邪魔を絶対にしないよう細心の注意を払ってラインを譲った」とヒルは語った。

1992年にブラバムからF1デビューを飾ったデイモン・ヒル

■デイモン・ヒルのF1初優勝

  • 大会:1993年第11戦ハンガリーGP
  • 出走チーム:ウイリアムス・ルノー
  • 予選:2番手

 ヒルのレギュラードライバー昇格にはさまざまな背景があった。もともと年俸面で不満を持ち、チームが裏でアラン・プロスト獲得を画策していた事実を知った、1992年F1王者のナイジェル・マンセルがチームを電撃離脱。ウイリアムズが獲得へ動いていたアイルトン・セナは、すでに契約を交わしていたプロストがチームメイト起用を拒否。消去法でヒルがシートを得たというものだ。

 1993年のヒルはシーズン前半戦、何度も表彰台に立ちながら真ん中は遠かった。迎えた第11戦ハンガリーGPでヒルは同僚プロストに次ぐ2番グリッドを獲得。決勝ではポールシッターのプロストがフォーメーションラップでエンジンストール、最後尾からの追い上げを強いられた。

 ヒルはこの僥倖(ぎょうこう)を活かしてオープニングラップを首位で終えた。間もなくセナ(マクラーレン)が背後に迫るも慌てず、クルマのポテシャルを最大限に引き出して独走態勢を築く。セナがスロットルトラブルで、プロストがウイングトラブルで戦線離脱すると、ヒルを脅かす者は誰も居なかった。レース終盤はペースコントロールでクルマを労わる走りに専念した。

 最終的にヒルは2位に1分12秒近い大差をつけて優勝。F1参戦13戦目の初優勝だった。「チェッカーフラッグが見えた瞬間、信じられないほどの安堵感が押し寄せた。ついにやった、という気持ちだった。これまでの数レースでは、あと一歩のところで勝利が手から零れ落ちる、本当に残酷な経験をしてきたからね」とヒルは記者会見で語った。

1993年F1第11戦ハンガリーGP F1初優勝を飾ったデイモン・ヒル(ウイリアムズ)

■ナイジェル・マンセル(1992年王者)のF1デビューレース

  • 大会:1980年第10戦オーストリアGP
  • 出走チーム:ロータス・フォード
  • 予選:24番手
  • 決勝:リタイア

 1977年のイギリス・フォーミュラフォードでは圧倒的な強さで王座に就いたマンセル。しかし、イギリスF3進出にあたって手持ち資金は乏しく、自宅を売り払ったり、妻に食べさせてもらうなど苦しい日々。それでも1980年のイギリスF3やヨーロッパF2での積極果敢な走りに、F1のチーム・ロータス率いるコリン・チャップマンが目を留めた。

 チームからはテストドライバーの指名を受け、同年8月には早くもF1デビュー。もっとも、3台目の車両だけにチーム内ではぞんざいな扱いをされ、スタート前にはコクピットの燃料漏れも発覚。「降りてもいい」という冷たいスタッフの言葉に、「冗談じゃない。待ち望んだデビュー戦なんだ」と言い返したマンセル。臀部に炎症を負いながら戦い続けたものの、エンジントラブルでリタイアに終わった。

 マンセルは第11戦オランダGPにも参戦、予選16番手と大健闘するも決勝はブレーキトラブルでリタイア。第12戦イタリアGPは予選24番手のアラン・プロスト(マクラーレン)に0.377秒後れで予選落ちを食らってしまった。

 冒頭でも少し触れた内容だが時計の針を巻き戻すと、1980年イギリスF3参戦資金が尽きかけてマンセルに対し、ラルトF2ホンダは開発ドライバーの仕事とワークスドライバーとしてのシートを提供している。シーズン後半の4戦だけだったが彼はヨーロッパF2に参戦し、9月の最終戦ドイツ・ホッケンハイムでは2位表彰台に立った。ホンダとマンセルはすでにこのとき繋がっていたのである。

■ナイジェル・マンセルのF1初優勝

  • 大会:1985年第14戦ヨーロッパGP
  • 出走チーム:ウイリアムズ・ホンダ
  • 予選:3番手

 1982年末、マンセルの後ろ盾だったチャップマンが心臓発作で亡くなった。チームを引き継いだピーター・ウォーはマンセルをまったく評価しておらず、1985年に向けてアイルトン・セナ獲得に熱心。シートを失いかけたマンセルに手を差し伸べたのは、ウイリアムズの総帥フランク・ウイリアムズだった。

 1985年のチームメイトは1982年王者ケケ・ロズベルグ。もっとも、すでに30歳を超えているふたりの起用、32歳マンセルもF1未勝利とあって世間の注目度は低かった。マンセル自身は才能の片鱗をたびたび見せたが、世間をあっと言わせたのがシーズン終盤の2連勝。F1初優勝となる一戦はイギリス・ブランズハッチ、ただし予選はセナ(ロータス)から0.89秒も遅れていた。

 決勝は予選4番手だったロズベルグに先行を許すも、ロズベルグがトップのセナへ果敢にアタックして接触。2台のスピードが落ちた隙をついてマンセルがトップへ躍り出た。レース中盤のタイヤ交換で一時的に首位の座を譲る場面こそあったが、最終的にマンセルは2位セナに20秒以上の大差をつけて真っ先にチェッカーフラッグを受けた。

「あの初優勝で、自分に足りなかった最後のピースが埋まった。自信がついたというレベルだけではない。レース全体を俯瞰して見られるようになり、『どうすればレースに勝てるのか』という術を、本当の意味で理解できた」とマンセルは後に語っている。

■ニコ・ロズベルグ(2016年王者)のF1デビューレース

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