フェルナンド・アロンソの復帰も、F1にとって刺激的なニュースだ。マシン開発を制限するトークン制は、トークンを使わず提携チームからの2020年型パーツを受け取れるアストンマーティンやアルファタウリに有利に働く。
マクラーレンはメルセデスPUからパワーを得る。2020年シーズンをコンストラクターズ選手権5位で終え、チーム名をアルピーヌと改称し、上層部の改革を進めるルノーにとって有利な状況ではない。だからこそ、アロンソが“帰ってきた”意味は大きい。
F1から離れていた2年間は、アロンソにとっておそらくハンデとはならないだろう――唯一無二の空間認識能力と反射能力、緻密にマシンを操作する“器用さ”は彼が生まれつき備えている特性で、本人ですら言葉で説明できない、他から見ると異次元のものだ。
ダウンフォースが増した今日のF1マシンではグリップの限界を感じ取る能力と瞬間の反応がタイム差を生み出すが、それこそ、2005~2006年のF1を制したアロンソが求める世界。当時のルノーは、フラビオ・ブリアトーレ曰く「予算的には5番目のチーム」だった。
フェラーリ時代の彼が選手権2位に終わった2010年や2012年に関して“最終戦でタイトルを逃した”と表現するメディアもあるが、現実には“アロンソの力で最終戦まで可能性を残した”と言うべきだった。2005〜2006年を含めて、フェルナンド・アロンソがシーズンを通して最強のマシンを手にしたことは一度もない。
マクラーレン・ホンダの困難な時代、チーム代表を務めたエリック・ブーリエは「フェルナンドはチームの支柱だ」と表現した。「私が言わなくとも、フェルナンドが口を開いただけで全員が現実に耳を傾ける」と。
ワークスチームとして再出発したルノーは、技術的な困難を内包したままの状態でも、ダニエル・リカルドの存在によって“手にしたマシンの最大限を引き出す”軌道を見出してきた。
HRT、トロロッソ、とりわけPU時代に入ってからのレッドブル・ルノーにおいて、特筆すべきリカルドの才能は“グランプリ現場において、最短の走行距離からベストを引き出す”効率に表れた。彼がルノーPUで走ったフリー走行の周回数は、ほとんどのセッションでライバルより5~10周少ない。レースにおいても、冷静な状況判断が結果に大きく貢献した。
そんなリカルドを失う“喪失感”を埋めることができる存在は、アロンソをおいて他になかったはずだ。2005年のサンマリノGP、FP1の走行が始まる前にエンジン内部の損傷を発見したルノーは、ペナルティを避けるためエンジン交換を行わなかった。初めてのタイトルを目指すアロンソは、フリー走行でほとんど走れない選択を受け入れた。当時23歳。0.2秒差でミハエル・シューマッハーを抑えて勝利したレースである。
「フェルナンドが走っていると、心底レースを楽しめる」とルノーのエンジニアが言った。「データをチェックして仕事に集中しながら、一方で、不安なくレースを楽しむ自分がいるんだ」と――。
湿った路面の走行ラインや、ライバルを真後ろに引き寄せてそのタイヤを疲弊させる技、雨の予選Q3でウエットタイヤを2セット使う判断、モンツァの予選ではスリップストリームでチームメイトと助け合う、タイムを落とさずエンジンとタイヤを労わる……など。
今では誰もが目指しながら、今も簡単には実現できない技は、多くがアロンソの“勝負魂”から生まれたものだ。
ルノーとの第3スティントは“名脇役”に留まらず、主役を演じるチャンスが欲しい。チームに誘導されるのではなく主導権を持って戦うドライバーの存在は、レースを引き締め、F1にエンターテイメントを復活させるはずだ。