F1ジャーナリストがお届けするF1の裏話。第24戦アブダビGP編です。
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グランプリドライバーは大勢のファンに応対しなければならない。F1でレースができる幸運な20人のひとりになった時点で、否応なく世界中の何百万人というファンに顔を覚えられることになるからだ。そして、そうしたファンと出会う場所は、サーキットだけとは限らない。
それはひとつの特権だが、著名人という立場上、たとえ物事がうまく行っていなくても平静を装わねばならないこともあり、そんなときでもファンは放っておいてはくれない。ドライバーたちはホテルを出たところで、空港で、あるいはスポーツ観戦の場でファンに呼び止められる。そして、よほどのことがない限り、立ち止まって一緒に写真に収まったり、求められればサインをしたりするものだ。
実際のところ、レースの週末にファンがドライバーに近づくのは、かなり難しいことが多い。ドライバーたちはタイトなスケジュールに追われているからだ。彼らはコース上でクルマを走らせているか、さもなければメディアやスポンサーとの約束があるかのどちらかで、その時間の多くを限られた人たちしかアクセスできないパドックで過ごさざるをえない。そこで、FIAはファンがドライバーと会う機会を増やすためのイベントを設けており、ドライバーはこれに参加する義務があると規則に明記されている。
多くの場合、そのイベントはファンゾーンのステージへの登壇という形をとる。そこで同じチームの2名のドライバーがインタビューを受けたり、ファンと交流したりするのだ。時には2チームの4名が同時にステージに上ることもあれば、1チームずつのこともある。
だが、アブダビの週末の金曜には、あるチームのドライバーペアが、義務付けられたイベントに姿を現さなかった。
問題を起こしたのは、アストンマーティンのフェルナンド・アロンソとランス・ストロールで、参加するはずだったファンゾーンでのイベントをすっぽかしたのだ。これはFIAが定めた義務を果たさなかったことを意味し、彼らはスチュワードに呼び出されて喚問を受けた。
アロンソとストロールの申し開きは、自分たちはFP1に出走しなかったのでファンゾーンへは行かなくていいと、チームから間違った情報を伝えられていたというものだった。アストンマーティンはルーキーの起用義務を2名分残してシーズン最終戦を迎えており、最初のプラクティスセッションでジャック・クロフォードとシアン・シールズを走らせた。そのため、アロンソとストロールはFP1に出走しなかったのだ。
事実、アストンマーティンはレースドライバーの両名に、クロフォードとシールズがその役を務めるので、ファンゾーンへ行く必要はないと伝えていた。しかし、それは彼らの思い違いで、チームは高額の罰金を科せられた。
ファンを第一に考えたスチュワードの判断は称賛されるべきだろう。処罰を言い渡すにあたって、スチュワードはその罰金がFIAの利益になるのは正しくないと感じて、FIAへの提言を付け加えた。チームから受け取った金額を、中東地域のファンがオフィシャルとしてレースに関与したり、草の根レベルのモータースポーツに参加したりする機会の促進に用いることを推奨したのだ。
また、アストンマーティンは、彼らのドライバーに会えなかったファンに埋め合わせをすることで、スチュワードと合意した。そして、ファンゾーンでアストンのチームグッズを身に着けていたファンの全員に、ドライバーのサイン入りキャップをプレゼントし、さらにランダムに選ばれた2人にVIPアクセスを提供して、アロンソとストロールに面会させたのである。
その対象となったファンは、少なくとも週末をよい気分で終えることができた。しかし、また別のあるファンは、とてもラッキーな場所に居合わせながら、それを自らの手で台無しにした。
ランド・ノリスは、アブダビで自身初の世界選手権タイトルを勝ち取ったあと、その喜びを分かち合おうと友人たちと有名なパーティスポットへ向かった。だが、それはプライベートパーティではなかったので、すでにチケットを買っていた人なら誰でも、彼の祝いの席に加われるという幸運に恵まれた。
結果として、このパーティで撮られた大量の動画がネットで共有されることになったが、ある人物はその瞬間をカメラに収めようと熱を上げるあまり、守るべき一線を踏み越えてしまった。その人は眩しいフラッシュをノリスの眼に浴びせながら、大声で熱唱する彼を至近距離で撮影していた。あまりの図々しさに、ノリスがそのカメラを手で押し下げたにもかかわらず、このファンは少しも悪びれず真正面からの撮影を続けた。そして、とうとうノリスはその人物の一行に、「このパーティから出て行ってくれ」と言わねばならなかった。
アストンマーティンのドライバーたちにはファンと共に時間を過ごす義務があったが、日曜の夜のノリスにその責務はなかった。彼の怒りを買った人物は、ただその場を楽しむだけでは満足せず、一部始終を撮影しようとしたばかりに、すばらしい思い出を作る機会を逸したのだ。
