1999年、フォーミュラ・ニッサンには16チーム36名のドライバーが参戦した(スポット参戦含む)。8大会16レースが開催されるなか、アロンソはリタイア6回、DNS(未出走)1回となるも、ポールポジション9回、優勝6回、2位2回、7位1回と、浮き沈みの多いシーズンを過ごし、ランキング2位に7点差でシリーズタイトルを獲得した。

 アロンソのオフィシャルサイト内で生前エイドリアン・カンポスは、以下のように当時を振り返った。

「フェルナンドは私に、レース全体を通して限界まで攻めることを学ばなければならないと言い『それができるようになるまで諦めない』と言った。(開幕の舞台)アルバセテのレース2で彼は初優勝を飾る直前、私は無線で彼に『フェルナンド、2番手に42秒差をつけているぞ、スピードを落としてくれ』と言った。すると彼は『ブレーキパッドがすり減っている。これ以上スピードを落とすことはできない』と言ったんだ」

 最終的にアロンソは10秒のリードを守って開幕大会アルバセテのレース2でフォーミュラ・ニッサン初優勝を飾った。

 1999年まではレーシングカート参戦も継続していたアロンソ。フォーミュラ・ニッサンのタイトル獲得で、1999年12月にはミナルディのテストに参加しF1を初ドライブしている(マシンは1999年のミナルディM01/当時のミナルディにはジェネが加入しており、ジェネが持ち込んだテレフォニカのスポンサードを受けていた)。また、2000年はミナルディのリザーブのポジションを得ることに。一気にF1昇格が現実味を帯びたこともあってか、アロンソは1999年でレーシングカートキャリアを終えた。

 余談だが、ジェネ(1999年ミナルディからF1デビュー)、アロンソ(2001年ミナルディからF1デビュー)の活躍もあり、創業から間もなかったカンポス・レーシングは一気に強豪レーシングチームとして名を馳せることになった。創業者エイドリアンは2021年にこの世を去ったが、現在も息子たちがチーム運営を継続し、FIA F2、FIA F3、F1アカデミーなどに参戦している。

 また、フォーミュラ・ニッサンはその後、ルノーが主催するフォーミュラ・ルノーV6ユーロカップと統合。ルノーが運営に加わり、フォーミュラ・ルノー3.5へとリブランドされた。その後、2015年を最後にルノーが同シリーズへの支援を終了し、2016年からはフォーミュラV8 3.5の名称で開催された。ただ、FIA国際自動車連盟が同シリーズをスーパーライセンスの発給条件の面で冷遇したこともあり、エントリーが激減。2017年をもってその歴史に幕を閉じた。

2000年国際F3000選手権に参戦するフェルナンド・アロンソ(チーム・アストロメガ)。ドライバーズランキング4位で翌年F1昇格果たす

 2000年、アロンソはF1直下の国際F3000選手権(現在のFIA F2/GP2の前身)にステップアップを果たす。チームは前年のチームランキング4位のチーム・アストロメガ(ベルギー)、そしてテレフォニカがビッグスポンサーとしてサポートする悪くない体制だったが、シーズン序盤は苦戦。当時の国際F3000の入賞は6位までだったこともあり、10戦中6戦終了時点ではノーポイントだった。

 ただ、第7戦A1リンク(現レッドブルリンク)で6位入賞を経験すると、第9戦ハンガロリンクで2位に。そして最終戦/第10戦スパ・フランコルシャンをポール・トゥ・ウイン&ファステストラップで制し、ブルーノ・ジュンケイラ(その後北米チャンプカーで活躍)、ニコラ・ミナシアン(現IDECスポールのスポーティング・ディレクター)、マーク・ウエーバー(9勝を飾った元F1ドライバー/現オスカー・ピアストリのマネージャー)に続くドライバーズランキング4位となった。

 なお、当時についてアロンソのオフィシャルサイトは「フェラーリがフェルナンドに興味を示し、テストドライバーの役割をオファーし、口頭での合意があった。しかし、フラビオ・ブリアトーレがフェルナンドについて問い合わせたことがきっかけとなり、最終的に彼はルノーと契約。ミナルディにレンタル移籍することになった」と振り返っている。もし、この時点でアロンソがフェラーリとの契約を済ませていたら、F1の歴史は大きく変わっていただろう。

 ブリアトーレとルノーの後ろ盾を得たアロンソは、2001年F1第1戦オーストラリアGPでミナルディからF1デビューを飾った。同グランプリではキミ・ライコネンがザウバーからデビューしていた。

 ライコネンはフォーミュラ・フォードとフォーミュラ・ルノーで、合わせてシングルシーター経験23戦のみでのF1デビュー。F3、F3000は未経験だったことから、FIAやF1関係者からも批判の目が向けられていた(F1デビュー後は鎮静)。ただ、ミドルフォーミュラのレース数に関してはアロンソも26戦であり、経験レース数ではライコネンとほぼ同じだった。

 2001年のF1デビュー後のアロンソの経歴はここでは割愛する。ひとまず、2001年に19歳だった彼は、44歳となった2026年も変わらずF1のステアリングを握っている。

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