11月1〜2日、栃木県のモビリティリゾートもてぎで行われるスーパーGT第8戦『MOTEGI GT 300km RACE GRAND FINAL』は今シーズンのラストレースとなるが、今季限りでのスーパーGT引退を10月23日に発表したKONDO Racingの松田次生が、レースを翌日に控え心境を語った。その質疑応答の全文をお届けしよう。

 松田は2000年にTEAM TAKE ONEからJGTC全日本GT選手権にデビュー。2001〜2005年はNAKAJIMA RACINGからGT500クラスに参戦し、2006年にニッサン陣営に移籍。2014〜15年にはGT500クラスチャンピオンを獲得したほか、シリーズ最多となる通算25勝、JGTC/スーパーGT通算参戦202戦、トータル獲得ポイントでは歴代トップの1267ポイントという実績を残してきた。また2007〜2008年のフォーミュラ・ニッポン連覇など、国内屈指のトップドライバーのひとりとして活躍してきた。

 今シーズンも名取鉄平とともに第6戦SUGOを制するなどその実力を示してきた松田だが、数多くの勝利をともに飾ってきたカーナンバーと同じ日の10月23日、2025年限りをもってスーパーGTでの活動を終えると発表した。すでに松田からは発表に合わせてコメントが出されていたが、スーパーGT第8戦の予選日を翌日に控えた10月31日、メディアに向けてラウンドテーブルが設けられた。質疑応答は長年チームメイトだったロニー・クインタレッリも見守り、終始和やかな雰囲気で行われた。

スーパーGT活動終了の理由は「目標としていた25勝を達成できたこと」松田次生がこれまでのキャリア、未来を語る
2025スーパーGT第8戦もてぎ 松田次生のスーパーGT活動終了メディアラウンドテーブルで写真を撮るロニー・クインタレッリ

●「25勝した後に緊張の糸が切れたように思いました」

松田次生(以下松田):2000年第6戦岡山からフル参戦して、25年半という長い間スーパーGTを戦ってきました。今日、スーパーGTからの卒業を発表できることを光栄に思っています。いろいろと『なぜ止めるんだ』という声もおそらくあるとは思いますが、僕のなかでひとつのケジメとして目標としていた25勝を達成できたこともあり、ニスモに『スーパーGTを卒業したい』と申し出て、話し合いをして卒業する決意に至りました。

今回のもてぎが最後になりますが、うまくすればスーパーGTで26勝できるかもしれないですし、リタイアするかもしれないですし、ポイントを獲れるかもしれません。もてぎはデビューした年の綜警マクラーレンの時のような初々しい気持ちで挑んでいきたいと思いますので、最後のレースをぜひたくさんのスーパーGTファンの皆さんの目に焼き付けていただき、卒業したいと思っています。そしてその様子を、メディアの皆さんのお力も借りてファンの皆さんに伝えていただければと思っています。

Q:先ほど、25勝を区切りとおっしゃっていましたが、具体的に今シーズン限りと決めたのはいつ頃でしょうか。
松田:
基本的に決めたということはなくて、僕のなかでは25勝することに対して精一杯やっていたので、(今シーズン限りという)考えはぜんぜんありませんでした。でも、人って目標があるときには勝つために何をしたら良いのかばかり考えると思うのですが、25勝した後に、ふと自分の中で26勝、27勝というものに向けたモチベーションがなく、25勝した後に緊張の糸が切れたように思いました。あと(名取)鉄平が最後にオーバーテイクをみせてくれたときに、自分自身はあの走りを見て、若いドライバーがこれからどんどん育ち速くなる中で、自分自身がある程度土台を作ってきて、若いドライバーにバトンタッチしても良いのではないか? と思えたところもありました。

次の目標として26勝を掲げるよりも、後進にバトンを渡しても良いのではないかとあっさり決めることができました。また自分のなかでKONDO Racingとヨコハマタイヤで1勝するという大きな目標もあり、達成できた。それを自分の決意としてニスモさんと話をさせてもらったかたちですね。

Q:現時点では、名残惜しさはないということでしょうか。
松田:
自分のなかではまだやれると思っていますし、ドライビングもまだ負けていないと思っています。レーシングドライバーを卒業するわけではないですしね。負けない気持ちはあるのですが、スーパーGTを長年やってきて、ものすごく神経をすり減らすというか、メンタルも身体もかなり使います。46歳になって、20代と同じようなトレーニングができるかと言えばやはりできないですし、気持ちとしてこのプレッシャーには耐えられない……というところも正直ありますね。

Q:レーシングドライバーは卒業しないとのことですが、来年以降はどんな活動をされますか?
松田:
僕自身としてはGT300も乗らず、スーパーGTは卒業しようと思っていますが、スーパー耐久とかはまだ自分としてやりたいことがけっこうありますし、あともし挑戦できるのであれば、世界の舞台で戦ってみたいですね。ル・マンだったり、スパだったり、ニュルブルクリンクだったり、そういうレースに参戦したいという気持ちはまだあるので、チャンスが来たら自分の挑戦の場を目標として立てられたらと思っています。

また最近レーシングカートもやっていますが、若いドライバーの走りにけっこう刺激を受けています。GPRシリーズのシフタークラスに出場させていただいていますが、自分を高めるという意味では、若い子の刺激にもなって欲しいと思っています。来年以降もカートのレースは出たいと思っていますね。

Q:ご自身がドライバーとしてベテランとなっていくなかで、引き際などを考えたことはなかったのでしょうか。
松田:
NISMOからKONDO Racingに移籍したときに、長年KONDO Racingは勝っていなかったので、まずそこで優勝すること、ヨコハマタイヤを僕自身も初めて履くことになったので、戦闘力が高いタイヤを作りたいという気持ちがありました。

僕のなかではそれまで24勝を挙げることができていたので、KONDO Racingでとにかく25勝を挙げるんだという目標を掲げ、そこに向けて突っ走ってきた感じだったので、引退というより勝ちたいという思いの方が強かったですね。勝った後に達成感もあって、一気に『もういいかな』という気持ちになりました。

松田次生と名取鉄平(リアライズコーポレーション ADVAN Z)
優勝を喜ぶ松田次生と名取鉄平(リアライズコーポレーション ADVAN Z) 2025スーパーGT第6戦SUGO
スーパーGT活動終了の理由は「目標としていた25勝を達成できたこと」松田次生がこれまでのキャリア、未来を語る
2000年に松田次生がデビュー時にドライブした綜警 McLaren GTR

●『どうやったら勝てるんだろう』ということを常に考えてこられた

Q:25年で200戦以上を戦ってこられましたが、それほど長くキャリアを築けたのはどういったところにあるとお考えでしょうか。
松田:
やはり常に勝ちにこだわってやってきたところがあります。ドライビングだけでなく、クルマを作る、タイヤを作るということを常に考えてやってきたので、それが自分の中で蓄積され、経験になり、そのおかげでここまで多くの優勝を飾ってこられたと思います。たぶん、速いだけではここまで来られなかったと思います。クルマ、タイヤ、チームと含めて『どうやったら勝てるんだろう』ということを常に考えてこられたのが良かったと思います。

Q:25勝という数字はとても大きな数字ですが、自分の中で思い出の勝利やレース、印象的な勝利があれば教えていただければと思います。
松田:
今日はこの場にロニー(クインタレッリ)さんも来てくれていますが、ロニーさんとチャンピオンを獲った2015年のもてぎは思い出します。優勝ではないのですが、2位を獲ったときです。あれはもう一度やれと言われたら、この歳でできるかな? というくらいのすごいプレッシャーの中でのレースでした。

ホンダ時代では、2004年にホンダ勢がずっと勝てなくて苦しい状況のなかでのもてぎでのレースで、アンドレ(ロッテラー)と優勝したのは、僕のなかでちょっと忘れられない優勝だったと思います。

Q:25年というキャリアはご自身で長いと思われますか? それともあっという間でしたか?
松田:
今日ここにいると、25年はあっという間だったようにも思いますが、冷静に振り返って2000年から、人生の半分以上をGT500クラスで戦ってきて、今までの思い出を振り返るとよくここまで戦ってきたな、と思います。一生懸命戦っているときは一年間が秒のように進んでいきますが、いざ引退を決めた時、2000年の綜警マクラーレンから始まり、いろんなレースを思い浮かべるなかで、よくここまで来られたな、というのが正直なところです。

Q:ご自身のスーパーGTでの活動をどう評価されていますか?
松田:
とにかく勝つこと、記録にこだわってきたところもありますが、スーパーGTの最多ポイント獲得数も立川(祐路)さんに2.5ポイント上回ることもできましたし、表彰台回数もトップになることができました。自分のなかでは最終的に記録を意識してきたので、それを達成できたことは、この長い人生含めてよくやってきたかな、と自分に言いたいですね。

Q:25年半、いろいろなカテゴリーに出場されたと思いますが、スーパーGTというのはご自身にとってどんなカテゴリーでしょうか。
松田:
やはりメーカー同士の戦いがスーパーGTの魅力でもありますし、ドライバーにとってもすごくストレスがかかるシリーズだと思うんですよね。勝つチャンスがある時にしっかり勝たなければいけないというプレッシャーもありますし、強いクルマを作らなければいけないというところもありました。またタイヤメーカーもブリヂストン、ミシュラン、ダンロップ、ヨコハマとすべて履くことができましたが、その中での戦いも思い出にあります。

ミシュラン時代は、はじめに2連覇することができましたが、その後のブリヂストンさんの驚異的な開発に対して、ミシュランさんもすごく頑張ってくれて、その中で結果を出さなければならない重圧がありました。この重圧は他のレースではない部分だと思っています。

タイヤワンメイク化の発表がありましたが、僕の中ではちょっと寂しい部分でもあるんですよね。みんなが競争して、それに対してドライバーがタイヤを作り、クルマを作り、タイヤエンジニアやチームがしのぎを削っていくような戦いは、ある意味スーパーGTしかないとずっと思っていました。その中で長く起用していただけたことはすごく嬉しいですし、優勝という結果に変えることができたことに対して感謝したいと思っています。またすべてのタイヤメーカーの皆さんに感謝したいです。

スーパーGT活動終了の理由は「目標としていた25勝を達成できたこと」松田次生がこれまでのキャリア、未来を語る
2015年に松田次生とロニー・クインタレッリがドライブしたMOTUL AUTECH GT-R
リアライズコーポレーション ADVAN Z
リアライズコーポレーション ADVAN Z(松田次生/名取鉄平) 2025スーパーGT第6戦SUGO

●また強いニッサン、強いニスモを復活させたい

Q:松田選手は大変解説もお上手で、今まで現役ドライバーとしてこだわられてきましたが、今後メディアの活動や、チームを自分で興すとか、若手を育てるなど今後の未来のビジョンをお持ちでしたら教えていただけますでしょうか。
松田:
僕自身、ずっとロニーと組んできて、その後若手の24歳のドライバーと組むことになりましたが、いろんな意味で『24歳って、今こうなんだ』と思いました(笑)。でも磨けば速いし、うまいレースもみせてくれます。そういう意味では後進を育てたいという思いがあります。

また僕自身もニッサン/ニスモがすごく大好きですが、いまなかなかチャンピオンが獲れていない現状がある中で、それに対して今までの経験を培ってクルマの開発だったり、後進を育てることがもしできるのであれば、お手伝いしたいと思っています。僕としてもまた強いニッサン、強いニスモを復活させたいという思いがあります。

<質問は以上だったが、最後に松田自身から発言があった>

松田:メディアの皆さんには長い間取材していただき、ありがとうございました。皆さんがスーパーGTの魅力を伝えるにあたり、手伝えることがあるのであれば、ぜひ言っていただきたいと思っています。若いドライバーがもっと活躍できるような場を作っていかなければと思いますし、メディアの皆さんの力を借りて、もっともっとモータースポーツ、クルマの世界を盛り上げていきたいと思っています。

自分はドライバーとしては下りますが、引退した僕とかロニーとか柳田(真孝)マーさんもいますので、みんなでこのシリーズを作り上げて、何か案があればぜひ協力しますので、今後もスーパーGTを盛り上げるという意味でも何か手伝えればと思っています。ぜひよろしくお願いします!

スーパーGT活動終了の理由は「目標としていた25勝を達成できたこと」松田次生がこれまでのキャリア、未来を語る
2025スーパーGT第8戦もてぎ メディア向けラウンドテーブルに出席した松田次生
スーパーGT活動終了の理由は「目標としていた25勝を達成できたこと」松田次生がこれまでのキャリア、未来を語る
2025年にGPRシリーズのシフタークラスに挑戦している松田次生

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